『社会福祉法人綜合施設美吉野園』は、昭和初期、祖父が方面委員(後の民生委員)として、歳末一品持ち寄りで各町内を歩いていた時、大淀町今木にて寒さに震え飢えを忍ぶ老夫婦を目の当たりにし、「どうにかして、このような人たちに力を貸すことはできないか」と考えたのが始まりでした。しかし、そのころ祖父は、戦前、戦中、の困難な時期、町政を託され、献身的に公務を遂行している時期で、どうする事もできませんでした。ところが時代の流れは不思議なもので、幸か不幸か昭和22年「公職追放」となり、これを機に悲願であった社会福祉事業に専念していったのです。社会福祉法も制定されていない当時近隣の理解ある方々にご寄付を募るも予想に反し集まりませんでした。
そこで私財を投じ、天理の柳本海軍飛行場の兵舎を払い下げて貰い、昭和23年5月14日『大淀美吉野園(老人寮27名、母子寮6世帯)』として、産声を上げました。こうして、祖父は、「名聞を求めず利益のために動ぜず」を旨とし、昭和38年、享年87歳まで「求められずして奉仕する」の信念で社会福祉事業に専念いたしました。
祖父亡き後、主人が理事長に就任し、人間として人間の苦難に共感するという「人間愛」を旨とした信念を受け継ぎ、43年の永きにわたり社会福祉事業に専念し、時代の返遷と共に施設整備を繰り返し、南和地区の福祉の中枢的役割を担ってまいりましたが、平成18年名誉理事長として、第一線を退き私がその意思を受け継ぎました。
今、社会福祉法人の存在意義が問われています。このような時代だからこそ、創立者の理念、福祉というものの原点に立ち返れば、おのずと解決策は見えてくるのではないかと思います。祖父から主人へと受け継いだ信念を継承し、『人のできないことを行ない』、『利益を求めず』、いわゆる『奉仕の心』を旨とし、今後も、「支えあう心」を大切にし、地域福祉の発展のために、地道な努力を積み重ねていきたいと思います。
社会福祉法人綜合施設美吉野園
理事長 東 好子